出典:k1972223様より
古き良き昭和時代の一発台「タンブラー(京楽)/1986年昭和61年~」
大学受験の浪人生時代に出会った機種で、初めて打った一発台です。
わけも分からず座って打ったら、200円で大当たりしたという典型的なビギナーズラックがボクとコイツの馴れ初めでした。
最後の頼みはタンブラー
当時のボクは浪人生で、覚えたばかりのパチンコにどんどんハマっていってたんですよね。
まだパチンコのシステムなんて分かっていなくて、ヒコーキ台ばかりをチマチマ打ってたボクですが、負けが込んで来ると「一発逆転」を狙ってコイツにすがりついてたました。
まあ、当時は負けが込むって言っても精々が5千円程度でしたが。
ビッグシューターで1000円やられて、ベースボールで1000円やられて、再度ビッグシューター2台で1000円づつやられて、スタジアムでも1000円やられて、もうボロボロになってくるとタンブラーですよ(笑)
最後に1000円分だけコイツに賭ける、みたいな感じ。
そうそう、記事を書きながら思い出したんですが、当時はなぜか分からないけど1台につき1000円で区切りをつけてたんですよね。
なんでかなー?
確か玉貸しも100円単位でやってたなあ。(今と違って硬貨)
なつかしい。
行きつけのパチンコ屋の店員や常連さんとも顔見知りになって、なんだか自分の居場所ができた気持ちになってうれしかったのを覚えています。
大学受験の浪人生は孤独で寂しいですからね。
軍艦マーチがかかったらチャンス!?
当時はいわゆる「オカルト攻略」が全盛でね、「カド番がでたら次は真ん中の台が出る」とか「偶数番が当たったら次は奇数番だよ」とか、いろいろおもしろい「攻略法」がありました。
実はボクもタンブラーを打つのは「軍艦マーチがかかっている時」でした(笑)
常連のおばあちゃんが教えてくれたのを真に受けてたんですよ。
何となくの印象で軍艦マーチがかかっている時には当たりやすいと思い込んでたんでしょうね。
それでも当時のトータル収支はトントンかチョイ浮きぐらいにはなってたと思います。
というのも、クギも分からないオカルト青年なりにあれこれ考えてアタリ回数の多い台に座る様にしていたからです。
いわゆる「マーク屋」ですね。
これがデジタル台であれば事情も変わって来るんでしょうけど、当時はヒコーキ台と一発台ばかり打ってましたから、アタリ回数や終了札が結構アテになったんです。
タンブラーが当たった日はちょっと豪華な晩ごはん
ボクが居た地域では一発台の定量が4千個で、2.5円交換だから一回の権利で大体1万円になったんですよ。
浪人生のボクには大金でした。
タンブラーを当てた日には、なんだか自分がパチプロになったかのような気になって良い気分でしたね。
5,6千円負けてたのが一発で3,4千円の勝ちになるんですから、たまりませんよ。
そういう日は、帰りに定食屋でちょっと高めの品をとったり、単品を頼んだりして「豪遊」しましたねえ。(当時は実家を離れて予備校の近所の安アパートに住んでたんです)
で、お腹がいっぱいになったら日活映画を観に行ったりしてね。
こんなことやってたから志望大学も落ちちゃうんですよね(笑)
最後に動画を貼っておきます。
どうぞ懐かしんでくださいネ。
出典:k1972223様
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