鶴見済さんのインタビュー記事が良かった。
鶴見さんが去年の暮れに出版した新著『0円で生きる 小さくても豊かな経済の作り方』に引っ掛けてyahooがインタビューしたんだけど、本の宣伝ではなくてキチンとした内容だったのが好感でした。
鶴見済さんの「お金が省略したものが人間関係」にハッとなった
インタビューの中で鶴見さんが言ってた「お金が省略したものが人間関係」というのにはハッとしたなあ。
言われてみれば、なるほどその通り。
彼はそこら辺のことをヒッチハイクとタクシーの比較事例を挙げて説明してたけど、分かりやすかった。
ヒッチハイクをすると、初対面の人の車に乗せてもらうことになります。乗って無言というわけにはいきませんから、何かをしゃべらないといけません。自分が何者なのか。なぜ旅をしているのか。中身に相手が共感してくれれば、乗せてくれる距離も延びるかもしれません。タクシーにはこれらのプロセスは一切ありません。お金が全部解決してくれます。人間関係を省略している分、楽なんです。
人間関係の煩わしさをお金で省略・代替えすることによって、スマートになったり楽になったりする反面、(当たり前だが)人間関係が無くなっていく。
自動販売機に130円を入れてボタンを押せばコーヒーが下から出て来る様に、お金を出せば他人が何らかのサービスを提供してくれる。
オーバーかも知れないが、人の機械化だ。
それによって人間関係の煩わしいゴチャゴチャが省けるんだから、これはこれでメリットだろう。
が、過ぎた貨幣経済にはデメリットもあった。
便利な貨幣経済が度を越しているのが今の日本社会
本来、貨幣経済とは真逆の位置にあった「人と人の助け合いや信頼関係」までもが換金化される様になったのが今の日本だ。
こういう話をすると人間関係に付きまとうマイナス面を挙げる人がいるが、それも確かにある。
問題は行き過ぎると良くないという話だ。
貨幣経済に過度に依存した結果、人間同士の助け合いもなくなったことだ。
困ってる人間が居ても1円の得にもならないのなら助けない。
逆に金になるなら手を差し伸べる。
そんなギスギスした社会になってしまった。
そこら辺も鶴見さんは言及している。
昭和と比べて、学校や会社、家庭に限られていた人間関係は、緩くなりましたよね。いい面もあるんです。当事者がつらくなったら、居場所を変えられるようになったわけですから。ただ、極端につながりが薄い人も増えてしまったのも問題で、孤独になってしまう人も増えた。つながりが心底嫌いな人はほとんどいないと思うんですよ。
引用:同上
いまのグローバルな経済活動下――自分は「大きな経済」と呼んでいますが、ここでバリバリ働いて勝ち抜ける人は、そう多くないでしょう。テキパキ働ける人ばかりじゃないし、勝ち抜く条件っていくつかあるんでしょうけど、少なくともおれは条件を満たしていません。自分みたいな大きな経済に適応できないのは「不適応者」かもしれない。ただ不適応なだけじゃ面白くないので、自分たちの「小さな経済」で対抗していきたい。少しでも不適応者が生きやすい社会にできたらいいですね。
引用:同上
ボクも人間関係の煩わしさは嫌だし、鶴見さんも集団による同調圧力には反対を唱える人だ。
それでも、今の日本社会の人間関係の薄さには違和感を覚える。
行き過ぎているんだ。
お金と全く関わらずに生きていくことは現実的ではないし、それはそれで不都合な面があるだろうけど、今の行き過ぎたお金最優先というのもツライ。
多分、今のお金最優先な日本で楽しく生きている人は「勝ち組」と言われる1%か2%の極一部じゃないんだろうか。
その人達だって死ぬまでずっと勝ち組側でいられるわけじゃないと思うし、なんとかもう少しお金優先の度合いを下げられないものか。
そんなわけには行かないんかな。
まあ、ファンとしては久々に鶴見済さんの元気な顔が見れて良かったデス。
新著も読みましたが、鶴見節が冴えてて良かった。
いつもの鶴見さんの本と違ってて、簡単な実例を挙げて今日から誰でもが実行できるケーススタディを解説してあったので親しみが湧きました。
良書。
【2018/04/24 追記】鶴見済さんインタビュー2~「大きな経済と小さな経済」
いつの間にか4月も中旬になってた。
最近はあまり調子が思わしくなくて停滞気味。
そんな時にツイッターをボケーと眺めてたら鶴見済さんのインタビュー記事が流れてきた。
さっそく読みに行ったら、ちょうど今自分がつまづいている問題に関係した内容だったので、食い入るように文字を追いかけましたね。
内容は鶴見さんが去年(2017年)の暮に出した本『0円で生きる』について。
鶴見さん言うところの「大きな経済」と「小さな経済」の比較に焦点を絞ってしゃべってたところが分かりやすかった。
それぞれのメリット・デメリットというか、貨幣経済の良い点と悪い点がキチンと明示されてたのが良かった。
【注釈】
「大きな経済」・・・いわゆる企業中心の金儲け主義のこと。
「小さな経済」・・・商売や利益ではなく、個人と個人の助け合いのこと。例:貸し借りや贈与など。
くわしいことはインタビューを読んでほしいのですが、鶴見さんが言ってるのは「どちらの経済システムにも長所・短所があって、優劣ということじゃない。大切なのはそのバランス」というもの。
まったく賛成。
ザックリ言えば昭和の中期までが「小さな経済」中心で、その後のバブル期からは「大きな経済」中心へと変わって行った。
その変化を具体的に挙げると、終身雇用や年功序列が崩れて能力主義や成果主義になったり、人間を判断する時の基準が人柄よりも経済力になったりしたことだろう。
今なんて、ややもすると「お金がない人は人格が劣っている」なんてセリフも平気で出てきそうだ。
経済力は大切ではあるが、それが全てとなるのは明らかに異常。
学歴至上主義が幅を利かせていた昭和時代に「勉強ができれば人間的にも優秀。できない人はダメ人間」といった空気と同じで行き過ぎだ。
学歴にしても経済力にしても人間性うんぬんとは関係のない尺度なのに、それを絶対基準として扱うことが社会の混乱を招くし、生きづらさを生み出す。
だからといって人間性を過度に重視する社会もこれまた息苦しい。
昭和の時代にあった「ご近所づきあい」がそうだろうし、もっといえば農村地域にあった「村八分」なんてのもそう。
人間関係のつながりは相互扶助(助け合い)といった良い面もあるけれど、それと同時に息苦しさもワンセットになってる。
人と人のつながりを基盤にした「小さな経済」が廃れて、「大きな経済」に取って代わられたのも人間関係の煩わしさが原因だった。
お礼やお返しといった煩わしさをお金で代替えさせることでスッキリするっていう。
【随時追加予定】鶴見済さんのインタビュー記事のリンク
◎2018/3/20付|急速に浸透する「シェアリングエコノミー」という概念──「0円で豊かな生活」とは
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