パチプロ廃業のその後|社会復帰編その1「この10年間何やってたんですか?」

スーツとネクタイ

30歳を機にパチンコ生活から足を洗ったボクでしたが、今回はその後の話です。

※つづきの元になる記事はコチラ パチプロ 廃業 3つの理由

パチプロ生活に嫌気がさしたことや将来への不安から社会復帰を目指したまでは良かったのですが、人生はなかなか自分の思い通りには行きませんし、世間はそこまで甘くありません。

なにせ20代の10年間が空白なのですから、まともな仕事に就ける方がおかしいのです。

でも、当時のボクは世間というものがわかっておらず、行く先々で痛い目に遭いました。

今回は「パチプロ廃業のその後~社会復帰編」です。(ちょっとオーバーかな?笑)

ネクタイの結び方がわからない

まず最初にぶち当たった壁がネクタイでした。笑

わからないんですよ、結び方が。

喉元で輪っかを作ってそこへ内側から通して・・・という手順を忘れてたんです。

そういえばネクタイなんて大学の入学式でつけて以来ですから、かれこれ10年くらいはノータイ生活だったことになります。

あ、途中、攻略で旅打ちに出た時に現地でサラリーマン風を装うためにネクタイをはめてスーツを着たことがありましたけど、あの時はどうしたのかなぁ。

確か、仲間内の誰かに教えてもらって着けたんだったかな。

もう忘れてしまったけど。

ハロワでボロクソに言われて自分の立場を再認識

いやー、堪(こた)えましたねー。

30歳の男が20歳くらいの女の子(ハロワの職員)に上から目線であれこれ言われるんですから、これはキツイですよ。

たまたまアタリが悪かったのかも知れませんけど、ボクの地域のハロワではとにかく雑な扱いでした。

まるでゴミクズでも見るような眼と言いますか、ハロワ職員が内心では下に見てるのが伝わって来るんですよ。

ツラかったなー。

言われて1番困ったのが「この10年間、何してたんですか?」でした。

何してたんですかって言われても「パチプロやってました」とは言えませんから、そこら辺は適当にバイトや派遣などで食いつないで来たとか誤魔化してましたね。

この時ほど自分のやって来たことを後悔したことはありません。

まともな人生を送っている人々からしたら当たり前のことでしょうが、10年間ものブランクがあるって異常なことなんですね。(当時のボクはわかってませんでしたが)

こんな人間、一体どこの誰が雇いたいと思うでしょうか?

自分が雇い主の立場でも、絶対に採用しませんね。笑

ハロワはブラック求人ばかりなので、民間の求人誌で探す

何度もハロワに通う内にわかってきたんですが、ハロワってロクな求人が無いんです。

空求人やブラック求人が異常に多い。

おかしいとは思ったんですよ。

応募して面接に行っても決まらないことが多すぎるし、何よりも年がら年中同じ求人があるんですから。

最初は自分の経歴(20代のブランク期間)がネックで不採用になってるんだろーなーと思ってたんですが、どうもそれだけじゃないみたい。

で、あれこれわかって来たことにはハロワの求人は質が悪いってこと。

細かいことは省きますが、企業側からすれば無料で求人募集が出せるし、またいろいろな裏事情があって空求人でも出しておいた方が良いみたいなんですね。

なので、普通は民間の求人誌で探したり、派遣会社に登録した方がマシな求人に出会えるみたいなんです。

ハロワは、そういうところでは相手にされなくなった人たちが仕方なく来る最後の場所のようです。

そういったことが30歳にして初めてわかったというのも恥ずかしいのですが、とりあえずはハロワでの仕事探しは止めて、求人誌やネットの登録や派遣会社で探すことにしました。

応募、面接、応募、面接、そしてまた応募

ココからが、本当の茨の道でした。

応募して面接に行っても、なかなか採用にならないのです。

ハロワのような空求人ではなくキチンとした求人で、です。

とにかく応募しまくりましたね。

と同時に、徐々に応募先のレベルを落として行きました。

段々わかって来るんですよ、自分の市場価値というのが。

当時は既に年齢や学歴や性別といった、応募にあたっての資格条件が明記されなくなっていたので、そこら辺は場数を踏んで自分で判断しないといけなかったんです。

余談ですが、こういった平等主義ってどうなんですかね?

表面的な部分だけで差別を無くしても、実際には無くならないのなら意味がないどころか、かえって応募する側も面接する側もマイナスなんじゃないかと思うのですが。

応募側も面接側も無駄な時間と労力を費やさなくてはいけないのですから。

閑話休題

なんだかんだで1年くらい右往左往していたでしょうか、最終的には正社員での就職をあきらめてバイトでも良いから仕事にありつこうという事になりましたね。

派遣会社に登録して単発の仕事しつつ、比較的条件の良いバイトを探すという感じでお茶を濁す毎日でした。

実は、この時期には再度パチンコ屋へ足を運ぶようになっていたんです。

ストレス解消の為ではありません。お金の為です。

「30歳を機にパチプロ生活から足抜けした」などと調子の良いことを言いましたが、実際には片足だけしか抜けなかったのです。

ただ、この時にはキカイ(体感器)は使いませんでした。

探せばまだキカイの使えそうな店があったのですが、自分の中でそれだけは止めておこうという線引きみたいな意識があったからです。

「さすがにキカイを使ってしまったら、また元(のパチプロ)に戻ってしまう。だから、やるにしてもヒラ打ちにしておこう。それなら小遣い稼ぎと言い訳できる」

そう思ってたんですね。

「言い訳できる」と言ってますが、誰に言い訳するわけでもありません。自分自身に言い訳したかったんでしょうね。笑

長くなってしまいました。続きは次回でということで、一旦ここで区切りましょう。

ちょうどこの後、野暮用がありますので、失礼します。

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コメント

  1. 匿名 より:

    とても共感できました。
    体感機を使っていた頃のパチプロの話となるとかなり前にはなるかと思いますが、心境やその後の経緯などは全く同じです。
    私はヒラ打ちで20代をパチプロとして過ごしました。
    その後2社ほど1年、2年と就職しましたが結局辞めてしまいました。
    パチンコも嫌気がさして辞めたのに、就職した2社も毎日同じことの繰り返しとそれプラス人間関係の煩わしさでパチンコのほうがまだマシと思ってしまいました。
    ですが、将来の事を考え出すとどうしようもない不安にかられます。
    是非筆者様の続きをお聞かせ下さい。

    • のんき より:

      匿名さんへ

      コメントありがとうございます!

      ボクと同じくパチプロから堅気社会へと転身を図った人に読んでもらえてうれしいです。

      『毎日同じことの繰り返しとそれプラス人間関係の煩わしさでパチンコのほうがまだマシと思ってしまいました』・・・同感です。パチプロから足を洗って堅気の仕事に就くことができたとしても、今度はそのギャップに気持ちがついて行かないんですよね。

      アップダウンの激しかったパチプロ生活に比べると、堅気の生活はあまりに平坦過ぎてつまらないですし、サラリーマン特有のクダラナイ人間関係もこれまた息が詰まる原因です。

      ボクも社会復帰した当初は同じで、職場の人間関係に馴染めず仕事を転々としましたよ。

      不安でいっぱいだったけれど、長年のパチプロ生活で身に着いてしまった垢みたいなモノが身体じゅうにこびりついてしまってて、完全に堅気社会に馴染めるようになるまでに10年ほどは掛かったと思います。

      30歳で足を洗ってから10年ですから40歳前後にしてやっと心身ともにパチプロでなくなることができたと言えます。

      そのプロセスやその後の経緯などは運不運があって、なかなか自分の思い通りには行きませんでしたが、今ではなんとか落ち着いて生活できるところまで来れました。

      その秘訣みたいなものは精神論になってしまいますが「気持ちをしっかり持って負けない事」としか言えません。

      例えれば、千回ハマりの最中でも必ず当りが来ることを信じて(自分の選んだ台のクギを信じて)我慢しつつ打ち続ける様な感じでしょうか。

      匿名さん、今の時代はいろいろな生き方がありますよ。

      どうか世間の逆風に負けずに1ミリでも良いから前へ人生のコマを進めましょう!

  2. 匿名 より:

    アレンジマンは、宇都宮でやっていました。ただ、体感器の度重なる故障で殆ど残せず(貯金)諦めてしまいました。阪神大震災は大丈夫でしたか?

    • のんき より:

      コメントありがとうございます!

      そうですか、宇都宮でアレマンをやってたんですね。

      ボクは阪神大震災の影響は受けなくて、安全な地方でのほほんとやっていましたよ。笑

      アレマンかあ、懐かしいですねえ。
      あの時代は今から思えばですが、本当にネタバブルでしたね。

      またああいう青春を体験したいものです。