出典:ライス一番 様
※この話は CRモンスターハウスに取って代わった羽根モノ・ヘブンブリッジ(西陣) のつづきです。
1990年代のパチンコ打ちなら誰もがご存知の「CRモンスターハウス」
大ヒット機種でしたね。
どの店に行ってもたいていは設置してありました。
時給単価も黄門ちゃま並の4000~5000円という触れ込みで登場した、攻略末期における「最後の大物」です。
ただ、ボクにとってはネタプロ廃業のキッカケとなった機種ですが・・・。
目が厳しくて単発が上げられない
ボクにとってはネタプロ廃業のキッカケとなったモンスターですが、トータルで赤(負け越し)を付けた最初で最後の機種です。
当時つけていた収支ノートでは約3ヶ月で20~30日ほどしか実践しておらず、早々に撤退した記憶があります。(話は前後しますが、ヘブンブリッジへ移ったのはこの後ですね)
たとえ打った日数が少なかったとはいえ、キカイを装着して負け越した事は当時のボクにとっては相当なダメージでした。
モンスターハウスは確率変動状態での連チャン促進が攻略の要だったんですが、あの時期に周期1.5秒の単発打ちはあまりに厳しかったですね。
本来なら1.5秒では2.5発の玉が発打されているはずなのに盤面には1発しか玉が飛んでいない状態というのは、視覚的にかなり不自然です。
それを周囲の注意が集まりやすい確率変動中にやるのですから、ひと眼が気になること気になること。
隣近所や後ろを通りがかった客からはよくチラ見されたので、その都度普通に打って誤魔化してたんですが、そーゆー時に入賞した玉に限ってよく飛んだ(確変状態終了)もんです。笑
本来であれば黄門ちゃまと同じく時給4000~5000円ほどの単価が見込めたはずなんですが、前回の記事でもお話したようにモンスターが出回る頃にはパチンコ屋や客の眼が厳しくなってて思うように抜けなかったんですよ。
仲間たちからも景気の良い話が出なかった
この時期にあった(単価の大きい)キカイネタはおそらくモンスターくらいだったと思いますが、不思議と誰からもモンスターで儲けた話や武勇伝の類は入って来ませんでしたね。
初物を触ったら我先に経過報告をしたり、儲けた話をこれでもかと言うくらい他人に聴かせないと気が済まない連中の誰もが静かだったのです。
おそらくボクと同じで、みんなも抜くに抜けなかったのでしょう。
そもそもパチンコ店でバッティングすることがほとんどありませんでしたから。
普通は同じ地域(県内)で打っていればどこかで顔を合わせるもんなんですが、それがトンとなかったのですから他の連中も打ってなかったんでしょうね。
余談:この時期のネタプロたち
この時期を境にネタプロ達の間ではイザコザが増えて行きました。
原因のトップは金銭貸借です。
稼ぎの無くなったネタプロ達が日々の生活にも困るようになり、仲間内でお金の貸し借りが横行し出したんです。
言うまでもなく、トラブルになるだけでした。
ボクは金銭には真面目だったしヘブンブリッジやヒラ打ちでなんとか凌いでましたが、周りの知り合いたちは行方がわからなくなったり、ゴト師へ「転職」したりして表舞台からは徐々に姿を消して行きました。
その話もいずれ機会があればしたいと思いますが、今回はここらで切り上げましょう。
では、また。
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