最近、ボクの知っている(知り合いではなくてブログを見てるという意味)Bライファーさんたちが、小屋暮らしから離れていくのを数件みた。
そこで思ったことを書いてみます。
Bライフの小屋は狭い問題
小屋暮らしを離れた(完全に止めたのではなく、いったん休止みたいな感じ)人達を見てると、個々人によって理由はあるんだろうけど、大まかに言うと「生活空間としては不十分」だったんじゃないかと思いました。
小屋に住んだことがない自分は推測するしかないのですが、おそらくは空間の狭さがその遠因じゃないのかと。
※ボクは小屋ではなくて山奥にある古民家(一軒家)で生活しています。
なにも大金持ちの大邸宅みたくだだっ広くなくてもいいけど、ある程度のスペースがないと息苦しくなるというか精神的に煮詰まりやすくなるんじゃないかなあ。
人間が大きな家を建てたがるのは、他人に誇示するためっていうのもあるだろうけど、生物が快適に生きて行くのに必要なスペースを確保するっていうのもあるような気がする。
かくいうボクもこれまでに様々な広さの空間で生活してきたけど、最小は3畳から最大は20畳までを経験した身から言わせてもらうと、広い方が気持ち的にリラックスできた。
逆に狭い部屋だと、なんだか袋小路に追い詰められたようなウツな気分になりやすかった。
「パーソナルスペース」なんて概念があるわけだから、ある程度は空間の広さ(ライフスペース)って必要なのかも知れない。
生活インフラ不十分問題
これを言ってしまったら元も子もないんだけど、やはりBライフの小屋って生活インフラが不十分なのがネックな気がする。
具体的にはフロ、トイレ、キッチン関係、TV、エアコン・・・etc
こういうと「そんなのが整ってたらBライフじゃなくて普通のアパート暮らしと同じじゃないか」って言われそうだけど・・・そうなんですよ。
ボクの考えなんですが、人間って子供の頃からずっと慣れ親しんできた環境からはなかなか抜けきらないんじゃないかと思うんです。
最初の半年~1年ぐらいは珍しさも手伝って、不便ながらも自分だけの空間を楽しめるでしょうが、そのうちに飽きが来て段々と嫌になって行くんじゃないかと。
人間は孤独には耐えきれないのでは問題
生活インフラの不十分さ以外にも、人間関係の問題もあります。
小屋暮らしをするっていうことは、世俗的な人間関係を断ち切るということなわけで、それはそれで独りの自由さもある反面、孤独のツラさも伴います。
やはり人間て独りでは寂しいし、たまには誰かとつながりたい。
だからブログを書いたりニコ生で配信をやったりオフ会なんかを開くわけで。
結局は世俗の利便性を捨てる覚悟があるかどうか
なんだかんだ言っても世俗の生活って便利です。
その利便性を捨ててまで(人間関係も)、山奥で隠遁生活をする覚悟があるかどうかが問題なんだと思います。
これは別の言い方をすれば、世間での人並みな生き方が心底本当に嫌になったとか、自分には不可能だとかいう状況でなければBライフなんてしない方がいいということなんです。
ただのファッション的な感覚でやっても続かないんですよ。
もっとこう現実的に考えた上でというか、覚悟してからでないと時間もお金も労力もムダになります。
今のBライフとか小屋暮らしって、例えるなら高度成長期に小金持ちたちの間で流行った「別荘ブーム」みたいなもんじゃないでしょうか。
隠遁生活をする前に
まずはよくよく考えることですよ。
ボクは今の山奥暮らしをするにあたって、かなり考えました。
世俗的なものは95%ぐらいはあきらめて捨てる覚悟もしました。
安い古民家ですが、フロやトイレといった生活インフラは全て整っていますし、自由な空間も20畳ほどあります。
その他にも自分の性質を考えて、煮詰まらないようにいろいろな工夫もしています。
これぐらいやって初めてBライフとか山奥暮らしは軌道に乗るんじゃないでしょうか。
なによりも、自分は一般の世間ではやって行けない人間だというのが大きいです。
本当に無理なんですよ。
だから、世俗からは離れた生き方をするしかない。
もし世俗でやって行けるのならそうしてます。
ボクにとってはBライフとか山奥暮らしっていうのは別荘みたいな息抜きではなく、生きて行くことそのものなんですから。
どうも説教口調になって申し訳ありません。
どうぞ、Bライフや小屋暮らしを考えてる人がいたらよくよく考えてからにしてくださいね。
どんな生き方を選んでも、100%自分の望み通りってことはありませんので。
せめて御自分に合っているかどうかをキチンと見極めたうえで足を踏み入れて下さい。
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